孔子【論語】これを知る者はこれを好む物に如かず、これを楽しむ者はこれを楽しむ者に如かず。

論語孔子の言葉。

 

子曰く、

これを知る者はこれを好む物に如かず、これを楽しむ者はこれを楽しむ者に如かず。

 

師は言った、学問を知っているだけの者は学問を好んで学んでる物に敵わない、また学問を好む者も学問を楽しんで学んでる者には敵わない。

 

 

●これを知る者はこれを好む物に如かず、

学問をただ学んでる人よりも自ら学問を学びたいと好む人のほうが勝る。

ただ知るのではなく、自分の為に自ら学びたい、自分を高めたいと思ってる人の方が知識の定着もよく、その得た知識を活かせるのではないでしょうか。

ただ流れに身をまかせ、何も考えすに義務教育で中学、高校、大学と進んだ人と、学ぶ事の大切さを知り、自ら目標を持って行動している人では社会に出た時、後者の方が目標を定め、得た知識を生かし学んだ知識も忘れていないのではないでしょうか。

前者の方は中学、高校、大学と何年も費やした時間のわりに社会に出て残ってる知識も少なく、結局目標も定まらず悩み迷う事が多いのでないでしょうか。

 

 

 

 

 

●これを楽しむ者はこれを楽しむ者に如かず。

学問を好んで学んでる人も学問楽しんでる者には敵わない。

さらには学ぶことは大切だから、自分の役に立つからなどの理由よりも只々学ぶ事、知る事を楽しんでる人にはかないませんね、、。

それは学者と呼ばれる人達でしょう、自分の好奇心を追求する人達、その人たちはもはや勉強とは思ってはいないでしょう、ゲームやアニメ、映画やスポーツを趣味で極める感覚なんでしょうね。

孔子【論語】賢なるかな回や。一 箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り。回やその楽しみを改めず。賢なるかな回や。

論語孔子の言葉。

 

師曰く、賢なるかな回や。一 箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り。回やその楽しみを改めず。賢なるかなかいや。

 

師は言った、

回は賢明だ。お椀一杯のご飯、瓢一杯の水、そして狭っ苦しい家で暮らしている。他の人なら、とてもじゃないがその苦しみに耐えられない、しかし回は相変わらず楽しむ事を諦めず、楽しんでいる。

 

 

 

 

● 賢(ケン)なるかな回(カイ)や。一 箪(イッタン)の食(シ)、一瓢(イッピョウ)の飲(イン)、陋巷(ロウコウ)に在(ア)り。回(カイ)やその楽(タノ)しみを改(アラタ)めず。賢(ケン)なるかな回(カイ)や。

回は偉いものだよ。少しのご飯と、少しの水、そして狭く苦しい住まいで生活している。普通の人なら貧さに愚痴をこぼして苦しんでるだろうに、回はそんなの気にいせずにむしろ楽しんでる。大したもんだよ回は。

 

顔回(回)は孔子の最愛の弟子だったと言われており、他にも論語に「回は一を聞いいて十を知る」など孔子にかなり期待されて愛されたそうです。

ですが顔回は粗末な生活のせい若くして病気にかかり亡くなりました。

孔子が70歳の時、顔回は30歳の若さで亡くなりました、その時孔子はとても悲しんだそうです。

 

 

 

 

顔回

名は回、字(アザナ)は子淵(シエン)。ゆえに顔淵(ガンエン)、顔回(ガンカイ)とも呼ばれる。

学ぶ事が好きでそれ以外の裕福や、地位や名誉も求めなっかた。孔子顔回にはかなわないと言われかなり期待されていた。

後世の儒教では※四聖の1人。

 

四聖(シショウ)

儒教の代表する聖人。

顔回曾子(ソウシ)、子思(シシ)、孟子(モウシ)の4名を四聖としている。

孔子【論語】巧言、令食、足恭、砂丘名これを恥ず。丘もまたこれを恥ず。怨み隠してその人を友とするは、砂丘明これを恥ず。丘もまたこれを恥ず。恥ず。

論語孔子の言葉。

 

子曰く、

巧言、令食、足恭、砂丘名これを恥ず。丘もまたこれを恥ず。怨み隠してその人を友とするは、砂丘明これを恥ず。丘もまたこれを恥ず。

 

師は言った、

言葉たくみで、愛想笑いが上手で、あまりにもへりくだった態度、砂丘名はそうゆう人を恥じた。私、丘もこれを恥じと思う。

嫌いな人とも表面では友達なふりをするような人を砂丘名は恥字とした。私、丘もそれは恥じと思う。

 

 

 

 

 

● 巧言(コウゲン)、令食(レイショク)、足恭(スウキョウ)、砂丘名(コウキュウメイ)これを恥(ハ)ず。丘(キュウ)もまたこれを恥(ハ)ず。

言葉巧みに愛敬を振る舞いあまりにも媚を売る姿、そんな人の姿を砂丘名は恥かしい事だと思った。孔丘(孔子)自身も同じくそれを恥じとした。

 

 

 

 

● 怨(ウラ)み隠(カク)してその人(ヒト)を友(トモ)とするは、砂丘明(コウキュウメイ)これを恥(ハ)ず。丘(キュウ)もまたこれを恥(ハ)ず。

本当は嫌いなくせにその人の前では友達のように振る舞う、そんな人の姿を砂丘名は恥ずかしいと事だと思った。孔丘(孔子)自身もそれを恥じとした。

 

 

●人物詳細

砂丘名》

紀元前5世紀頃の魯国の※太史孔子のでしだったと言われている。

孔子の※『春秋』が間違って伝えられないよう※『春秋左氏伝』や※『国語』などをまとめたとされる。

太子

古代中国の官名。暦官の長。

暦法や宮廷内の諸紀録など行う

春秋

儒教の経典である五経のうちの1つ。

魯国の隠公(インコウ)元年=紀元前722年哀公(アイコウ)14年=紀元前481年

までの242年間の国家的大事を記した年代記

春秋左氏伝

中国の十三経のうちの1つ。

魯国の歴史を書いた『春秋』の解釈書。

国語(春秋外伝) 

ここで言う国語は中国古代春秋時代の諸国の歴史書のことである。

全21巻あり、『周語』3巻『魯語』2巻『斉語』1巻『晋語』9巻『鄭語』1巻『楚語』2巻『呉語』1巻『越語』2巻に分かれ春秋時代の主要国の各国史が記されており、春秋時代全史とも言える。

《孔丘》

孔子の名前、性は孔、名は丘、字は仲尼。

孔子の「子」は今の日本の字で言えば「師」みたいなもので先生みたいな意味です、なので「孔先生」と言う感じです。そして字(アザナ)とは名前とは別でつけられる呼ばれ方です。

 

● 言葉の意味

《巧言》  

言葉を飾って、巧みに言うこと。言葉巧みで実意では無く口先だけな事。

《令食》

相手に気に入られようと顔色をつくろい飾る事。

《足恭》

「足」はすぎる事。あまりにうやうやしさの度がすぎる事。

孔子【論語】徳、孤ならず、必ず鄰あり。

論語孔子の言葉。

 

子曰く、

徳、孤ならず、必ず隣あり。

 

師は言った、

徳のある者は孤立しない、必ず理解者が近づいてくるものだ。

 

 

 

 

 

● 徳(トク)、孤(コ)ならず、必(カナラ)ず鄰(トナリ)あり。

人思い、正義を尽くし、良い行いをする人の所には、人と孤立する事はなく、必ず人が集まってくる。

 

相手を思う気持ちや人を大切にできる人はその人自身も愛される様になり、人が集まってくるのです、逆に相手を思いやれない、人を大切に出来ない人には、その人を信頼しその人自身が好きだなと思い寄ってくる人は少ないでしょう。

 

 

 

孔子【論語】賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省み流なり

論語孔子の言葉。

 

子曰く、

賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省み流なり。

 

師は言った、

すぐれた人を見たら自分もこんなふうになろうと思い、つまらぬ人を見たら自分の中にも似たような事がないか、振り返るのだ。

 

 

 

 

 

 

● 賢(ケン)を見(ミテ)ては斉(ヒトシ)しからんことを思(オモ)い、不賢(フケン)を見(ミ)ては内(ウチ)に自(ミズカ)ら省(カエリ)みるなり。 

自分が素晴らしいと思う人を見つけたら、しっかり見習い。思いやりが無い、だらしない、自分勝手だ、など他人のダメだと思う所を見つけたら、自分にもそうゆう所がないか自分を見なおして、思い当たる事があったなら直していきましょう。

 

この人凄いなぁ、立派だなぁと思うなら、思うだけではなく見習い、自分も実践していきましょう、自分が素晴らしいと思う事は自分も出来るはずです、見習って意識してればいつか自分もそうゆう人になれるのです。

また、この人思いやりが無いな、自分勝手だな、だらしないな、約束守らないな、などなど、、人と関わっていれば他人のダメだなぁと思うところも見えたりするでしょう、そこでこの人好きじゃない、不愉快だ、などの不満で終わるのではなく一度自分にもそうゆう所があったりしないか振り返ってみましょう、他人には不愉快に思ってるくせに自分も似たような所があるかもって事意外とあります、、、、。(僕は)

他人にされたり、他人のそうゆう一面にはすぐ気づくけど自分の不甲斐なさって意外と気づかないんですよね、、、相手もそうなんだと思います、多くの人は悪気はないと思います、でも人の悪い所はすぐ気づくけど自分の事は気づきにくいから自分の事を棚に上げて人の事を言う人などがいたりするのだと思います、そして僕自身も気を付けないとそうゆ所があると思います、だがら「人のふり見て我がふり直せ」という事が大事なんだと思います。

 

孔子【論語】君子は義に喩り、小人は利を喩る。

論語孔子のことば。

 

子曰く、君子は義に喩り、小人は利を喩る。

 

師は言った、

 

立派な人はその行動が正義になっているかを考え、つまらない人は物事をすぐ自分の損得で考える。

 

 

 

 

 

● 君子は義に喩り、小人は理に喩る。

立派な人はその行動が自分にとって、正義であるか、スジが通ってるか、思いやりがあるのか、などを考える。器の小さい人はすぐに自分の利益しか考えない。

 

 

心が育ち、自分の心に余裕が出来てくると自分の事ばかりではなく、周りの事や、相手の気持ちを理解しようという気持ちができてくる。

気持ちに余裕がない時どうしても自分の願望ばかりになってしまいます、、、。

 

自分の心が成長すると以前は思えなかった、「そんなのただの綺麗事だ」と思ってたことが今では自然と心から思える様になあってます。

あんなに自分の願望ばかりで悩んでた僕が心に余裕が出来て今では綺麗事が理解できる、本当価値観って場所でも変わるけど成長でもかなり変わるんだなぁと思います、人はいつからでも、どんな者にでも変われる、僕はそう思います。

 

 

 

 

 

 

孔子【論語】位なきを患えずして、立つ所以を患えよ。己の知らるるなきを患えずして、知らる可きを為さんことを求めよ。

論語孔子の言葉。

 

子曰く、

位なきを患えずして、立つ所以を患えよ。己の知らるるなきを患えずして、知らる可きを為さんことを求めよ。

 

師は言った、

地位が与えられない事を悩むより、なぜ自分が今の地位なのかを悩みなさい。自分を認めてくれない事を悩むのではなく、どうしたら認められるのか自分に足りない所を思い悩みなさい。

 

 

 

 

 

● 位なきを患えずして、立つ所以を患えよ。

自分に位が与えられない事を嘆いてないで自分の実力不足を悩みなさい。

 

自分の実力不足を何かのせいにして不満ばかり言うのではなく、もっと地位高めたいのであれば現状を受け入れ、どうしたらもっと上の地位にいけるのか、何が足りないのか悩んで上を目指しなさい。

的な事でしょうか何も考えず、行動もせずに不満ばっか言ってても前に進みませんよね🤓

 

 

 

 

 

● 己の知らるるなきを患えずして、知らる可きを為さんことを求めよ。

自分を認めてくれない事を嘆いてないでまだ自分にそれだけの価値がない事を悩みなさい。

 

人に認めてもらえない事を嘆いてないてばかり居るのではなく、その人に認めてもらいたいと思うなら、どうすれば認めてもらえるか悩んで行動しなさい。

そんな感じですかね、、私は友達、恋人、家族みんなの事が好きで大切だから、自分の事を理解してくれて心強い存在でいてほしいから自分から相手を理解しようといつも心がけています。たまに価値観が合わない事もありますが、その時も出来るだけ自分なりに相手の価値観を想像して理解してあげます。そしてお互いにどんどん理解しあえる関係になるのです。