孔子【論語】朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり。

論語孔子の言葉。

 

師曰く、

朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり。

 

師は言った、

朝に人としての真理の道を聞き悟る事が出来たなら、夕方に死んでも心残りは無い。

 

 

 

 

 

● 朝(アシタ)に道(ミチ)を聞(キ)かば、夕(ユウベ)に死(シ)すとも可(カ)なり。

朝に人としての人生の答えを聞き知る事ができのなら、夕方に死んでも心残りは無い。

 

朝人生の答えを知れたなら夕方死んでも悔いは無い。孔子は人としての最善の生き方を人生をかけて探し求めた人物、そのぐらい人生の真理を悟りたかったのですね。

朝悟って夕方死ぬ。は極端な例えですが1日ではなく人生で考えると皆さんも理解しやすいと

思います。

「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」を分かりやすく伝わりやすい、例えはないかと検索してると、良い例えになるブログの記事をみつけました!たいきのパパの雑記帳と言うブログなのですがそこに、この孔子の言葉について語られて居ました。

 

「子供が産まれて守る物が出来て初めてこの言葉の心理がわかった気がする。自分が生きる意味、自分が死ぬ事の意味、どうにも言葉では説明しようが無いけれど、子供の笑顔を見ていると、全部分かったような気がする。そして孔子では無いけれど、それがわかってしまって今これだけで幸せ。今死んでも悔いは無いと確かに思った」

と書いてありました。

孔子は人生において今を精一杯生き、人への思いや、自分の責任、「徳」や「礼」を重んじて、自分の中のあるべき人間の姿、人間の思い、その真理を知れたなら思い残す事はない。

逆にいえば孔子でさえもまだ真理を見つけ出せてなかったのです、多くの人は皆んな自分の心理を探し求めてるのではないでしょうか、幸せとは?正義とは?正解はあるのか?常識?立派な人間とは?愛とは?などなど、、、それを知らずには死ねない、もし知れたなら「死」は怖くない。

私はそうゆう事だと思っています。

 

たいきのパパさんは子供が産まれ、大切なものが出来、今まで知らなかった「愛」を知った、自分の中の1つの心理を見つけたのではないでしょうか。

https://taikipapa.blog/2020/06/10/ashitani/

            ↑

その記事がこれです。

良かったら読んで見て下さい。